第27回毎月短歌・自選部門(選者:武田歩さん)
[次世代短歌プレミアム]
(選者の原稿を預かり、編集部で記事化させていただきました)
金賞
どこからが死んでいるのか分からない色水を吸い青くなる花/梅ふふむ
色水のなかに花を挿しておくと、その色が花弁に染みついていくらしい。はじめは白かったであろう花が、時間が経つにつれゆっくりと青みを帯びてくる。主体はあおあおと染まってくる花の様子をみて、「本来の色を失ったこの花はもう死んでいるのではないか」というかすかな疑問を抱いたのであろう。「どこからが死んでいるのか分からない」という上の句は主体の心情を描写しているだけでなく、色水の青と花弁本来の色が境目なくグラデーションのように変化しているという実際の景も見えてくる。「染みこむ」ではなく「吸う」としたのも花に生命が宿っていたように感じられてよい。
銀賞
触れられることの嬉しさ地層ならきっと貝塚が出来るあたりに/インアン
貝塚とは、先史時代の人々が排気した貝殻や生活廃棄物の堆積地である。人体の部位でいうと、どれを指すだろうか。私は、食物が貯まっていく胃の辺りだと感じた。この歌は、倒置によって「触れられることの嬉しさ」から始まるのがよい。温もりや喜びをはじめに言うことによって、その余韻が貝塚という言葉にまで効いてくる。荒々しい地層や貝塚に対して、ここまで柔らかく感じさせる表現にさせられるのは紛れもなく作者の強みであろう。
彼岸花葉のなくて花の盛れるを染井吉野に似つるとおもふ/眠る金魚
花の描写力が凄まじい歌である。彼岸花と染井吉野、季節は秋と春でそれぞれ違ううえに、色も赤と白、と大きく異なっている。しかしその一方で、彼岸花も染井吉野も葉は存在しない。そして、彼岸花の赤々しさ、咲き誇る染井吉野は強く人々を魅了する点で共通点も存在する。花の美しさや大きさに共通点を見出すのではなく、「葉がない」という切り口から、淡々と花を詠んだところに、作者の花への慈しみや着眼の力を確かに感じた。
銅賞
ささくれを切るためだけの鋏持ち今朝もスクランブル交差点/青野 朔
指のささくれを切る鋏を鞄に入れて、主体はスクランブル交差点を渡って勤務先に向かう。それだけの景なのに、ささくれを切るため「だけの」と限定されると、日常のなかでささくれに強く影響を与えられている、どこか後ろ向きな主体像が立ち上がってくる。今朝「も」という助詞から、屈折した気持ちを持ってルーティン化した毎日を生きている主体が見えてくるところも良かった。
一度しか死ねない僕が水換えをする豆苗の緑 まぶしい/くらたか湖春
豆苗の濁った水を流して、新しい水を入れる。同じ水であるはずなのに、新しい水に浸けた豆苗は生き生きと根を絡ませて、心なしか元気になっているように見えたのだろう。一字空け後の「まぶしい」は単なる緑のまぶしさだけでなく、豆苗の生のまぶしさも感じられる。
真剣に悲しみたいのに老犬に顔をくまなく舐められている/あをい
主体は一人の世界に浸りたいのに、飼い犬が駆け寄ってきて顔をしきりに舐めてくる。悲しむことを諦め、主体は飼い犬の相手をする。この飼い犬は老犬であり、長く生きてきたから、主体の悲しみを察することができたのだろうか。主体と飼い犬の関係性がよく見えてくるシーンを切り取った歌である。
仕切られて人が競馬のやうに待つ性病検査は匿名で受く/匂蕃茉莉
病院で性病検査を受ける人が仕切られて順番を待っている。この歌の核となる部分は、何といっても「競馬のやうに待つ」であろう。これからレースを走る馬という動物を比喩として持ってくることによって、性病検査というものがより生々しく感じられる。また、「仕切られて」という初句も、検査から逃げられない様子が見えてきて良かった。
(選評 武田歩)
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